あなただけの学習法を創り出すために
とことん集中できる環境でがっつり勉強させる専門家、
“さみー”こと教室長の鈴木です。


画像の説明


「あの人は自分のプライドばかり高くって…」
といった具合に、プライドが高いことというのは
あまりいい意味でといられません。


逆に「プライドがない」というのは
いい意味でも悪い意味でも使われます。
「そういう変なプライドはないから」といえば
いい意味になるでしょうし。
「あなたにはプライドはないの?」といえば
悪い意味になりますね。


なんとも不思議な言葉です。


プライドはprideと書きます。
google先生の翻訳によると、
日本語では「誇り」という意味です。
ただちょっとだけ
誇りとプライドは違う言葉なんだと思うのです。


「この子はわたしの誇りです」
とはいいますが、
「この子はわたしのプライドです」
はあまり言いませんね。


なんとなくですが、
プライドには「
自己満足」「自己愛」「自尊心」のニュアンスが
強く表れている気がします。


「プライドにかけて」という表現のときには、
恥をかきたくない気持ちとか、
どちらかというと弱々しい気持ち、
根拠のない自信といったニュアンスがあるのかなと。
あるいは
「プライドが高いからそういうことはしたくないんだよ」
という表現のように、
なにかをしないときの理由に使われることもありますね。


だからプライドというのは
ときに邪魔になることもあります。
悪い意味で捉えられるのは
そういう文脈の中にあるときなんでしょうね。


けれども、一方で「誇りに思うこと」は
決して悪いことではないと思うんです。


誇りって「埃」と同じ音ですよね?
これってたまたまじゃないと思います。


埃はふだんの生活で
気がつかないうちに積もっていくものです。




だから、日常の何気無い営みから、
知らず知らずに積み重なっていくものこそが
「誇り」なのではないでしょうか?




「埃」は何もしないと積もっていくものですが、
「誇り」は日々をしっかりと生きることで
自然と積もっていきうものだと思います。


プライドと誇りの違いもそれに似ているかもしれません。


誇りというのは
自分が培ってきた経験から生まれるもの
といったニュアンスがあるように感じます。


現に、自分のやってきたことに誇りを持っている人は
どんな場面でも堂々としています。


やるべきことをきっちと積み重ねていけば
知らないうちにそれが堂々たる自分を築き、
誇れるようになっていくのだと思います。


あなたは自分に誇りを持てますか?
もしそうでないなら、日々の一歩一歩を
ぜひ深く強く踏みしめて歩いてみてください。