あなただけの”学び”を創り出すために
とことん集中できる環境でがっつり勉強させる専門家、
“さみー”こと教室長の鈴木です。


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どうもこのところ「批判」を目にすることが多くなりました。
昨年もずいぶんと芸能ゴシップやら何やらで
恨みごとのように批判しまくる風潮がありましたね。


「あればなっていない」
「これは問題だ」
「それはダメ」


そうやってみんなで寄ってたかって
誰かを何かをやり玉に挙げる雰囲気が、
学校でもどこでも蔓延しているように思います。


それもやっかいなのは、
多くの人が相手の立場や状況、
文脈をきちんとわかろうともせずに
一部分だけを切り取って
しかも一方的に批判していることです。


まるでみんなが問答無用の神様となって、
いろんな人やものを裁いているようです。
自分には全く関係のないことまで
いちいち批判しているときもあるくらいです。


でも、本当の神様は批判なんてしません。


イギリスの詩人であり批評家のサミュエル・ジョンソンは
こんな言葉を残しています。
「神様でさえ人を裁くにはその人の死後までお待ちになる。」




「自分の意見を持つこと」と
「他人を批判すること」というのは別物です。
相手と真剣に交わることなくして
意見を述べることはできません。


ただ単に感情や感覚だけで
相手の行いを良い悪いと判断をするのは、
「批判」であって、
相手をいじめることはできても、
なにかを生み出すことはできないものです。


そして、批判ばかりの世の中で
いちばん怖いのはいつしか自分自身のことも
批判的にとらえてしまうことです。


他人を批判するというのは
それだけ人の粗探しをしているということです。
つまり、悪いところに目を向ける習慣がついてしまっているんです。


そうやって粗探しばかりしていると
世の中が粗ばかりに思えてしまいます。


人が作った社会に粗がないわけありません。
どんなにきっちりがっちり
木を積み上げていっても
かならず隙間は生じてしまうものです。


でもそういう隙間があるからこそ、
光も指すものです。
がんじがらめに敷き詰めた空間に住めば
そこは光のささない真っ暗闇です。


粗をさがして詰めようとしなくてもいいんです。
悪いところばかりに目を向けながら批判ばかりして、
真っ暗闇の中へ閉じこもってしまってはいけません。


いいところに目を向けるようになっていけば
自分自身のいいところにも
気がつけるようになります。
そうやって隙間から射す明るい光に目を向けていけば、
新しい何かを生みだしていくことができるのだと思います。